思考の媒体(メディア)

 昔からどうしても、書くことと歌うことは不可分だった。分けることは出来なかった。


 わたしは、「オペラ歌手」という〈歌う自分〉の肩書きを持っている。他にも「ボイストレーナー」、「声楽講師」……〈教える自分〉としての肩書きも持っている。


 けれど、このサイトでは〈書く自分〉を育てていきたいと願っている。



 現在、世界はコロナの影響に巻き込まれている。わたし自身もいくつかの本番がキャンセルとなり、リスクヘッジのために対面の仕事もキャンセルとして、4月は基本的に自宅にこもって過ごすことが決まっている。覚悟はしていたので、日毎に白くなっていく手帳を見ながら、寂しさに襲われつつも、どこか清々しい気持ちにもなった。


 きっとこれから、演奏の仕事を取り巻く環境は一変する。これから2年や3年、非常に厳しい状況になるに違いないと、すでに腹を括っている。人々のライフスタイルは大幅に変わり、新たな価値創造のサイクルが始まるだろう。音楽を享受する環境も、人々の意識も、大きく変わっていくだろう。


 世界が再編成されていく過程の中では、既存の価値観は役に立たない。いつまでもしがみついていないで、流れに身を委ねながら、新たな現実を創造していくほかない。新たな現実の創造には、他ならぬ自分自身の手を動かしていくことでしか、届かない。



 仕事を新たに創造していくにも、長期的な対策が必要だと考えた時、自分自身の資質を掘り下げる道を選んでみた。わたしの人生では、どうしたって、書くことと歌うことは切り離せなかった。それならば、これをとことん突き詰めてみようと決めた。


 他の人には不思議に思われてしまうのだが、私にとっては書くことも、歌うことも、同じ領域にある。それがずっと不思議で仕方がなかったが、先日ノートに向かって思考の整理をしている時に、はっと繋がった。



 〈言葉〉も、〈声〉も、思考の媒体(メディア)なのだ。


 思考や精神を、有機的に外界に媒介するための媒体(メディア)なのだ。



 この結論に至った時、視界がどこまでも広がっていくようだった。頭の中にいつもかかっていたもやが、晴れ渡っていくようだった。


 人の動力の源は、思考や精神にあると常々考えてきた。だが、それが「歌うこと」と、どのように繋がっているか、これまでは結論づけられずにいた。そして、「歌うこと」と「書くこと」が、自分の中では分けがたく繋がっていることの理由も述べられずにいた。


 だが、この結論に至ったことで、自分の中にある確かな芯を認識できた。思考こそが、動力の源なのだ。そのひとらしさの源なのだ。



 だからこそ、〈書く自分〉をより豊かに育てていきたいと願うようになった。それは、ライティングの仕事を再開したいという浅い希望だけではなく、〈歌う自分〉との融合をはかりたいという、強く深い衝動でもある。これまでは、媒体の違いによって、どこかで「演じ分けなくてはならない」という無意識の強迫観念の奴隷になっていた。そして、詰まっていくスケジュールの中で自転車操業を繰り返し、青息吐息になっていた。


 しかし、現在は違う。自分自身に向き合う時間が、たくさんある。自分自身を整理整頓する時間が、たくさんある。そして、その整理整頓を終えないことには、わたしはどこにも向かえない。


 このサイトでは、これまで書くことができなかったような文章を、多く綴っていきたい。振り返った時に、どんな軌跡が描かれているかを楽しみにしながら、日を重ねていこう。




Wisteria Field

まあるく、生きる。 まあるく、暮らす。

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